ジェシー・リバモアの資産や経歴は?ウォール街のグレートベアと呼ばれる理由も!

ジェシー・リバモアの資産や経歴は?ウォール街のグレートベアと呼ばれる理由も!

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1890年代から1930年代にかけて、アメリカの投機家や相場師として活動していたジェシー・リバモア。アメリカで「伝説の相場師」と言われている人物です。

本サイトでは過去に世界三大投資家 ウォーレンバフェットなどの投資家について解説していきましたが、今回はジェシー・リバモアの資産や経歴について解説していきます。

目次

ジェシー・リバモアの資産や経歴を紹介

ジェシー・リバモアの資産や経歴を紹介していきます。

資産

ジェシー・リバモアは、投機によって資産を何度も作りますが破産も繰り返し行っていることで有名です。

最も多くの資産を得たのは1929年10月25日。この日は1億ドル以上(約4000億円)の利益を上げています。しかし、その後は奮わず1934年に4度目の破産を行います。

その後は本を書くなどして活動しますが、最終的にジェシー・リバモアが亡くなった時に残した信託と現金は、500万ドルほどだったと言われています。

経歴

ジェシー・リバモアの経歴について紹介します。

幼少期

ジェシー・リバモアは、14歳の頃に農業を継がせようとした父親に反発し家出します。その後、ボストンの株仲買店で働きながら相場の動きを観察するようになります。

15歳の頃、年上の同僚からバケット・ショップに誘われ投機を開始。バケット・ショップを相手に勝ち続け「無鉄砲な少年相場師」の異名が付いたそうです。

株取引の開始

1897年、ジェシー・リバモアはニューヨーク証券取引所で発注する株取引を開始。バケット・ショップでは注文が店頭で即刻執行されるが、株取引では取引にタイムラグが発生するため、うまく行かずに6ヶ月足らずで破産します。その後は証券会社の裏をかいてお金を稼ぎジェシー・リバモアは復活します。

結婚と2度目の破産

1900年、ジェシー・リバモアはネティ・ジョーダンと結婚。翌年には強気の相場に乗っかり5万ドルの資産を作ります。

1906年、世界の情勢を分析し株価が下落すると読んだジェシー・リバモアは5万ドルを空売りに投じます。しかし、仕掛けるタイミングが早く、反騰の波に飲まれ2度目の破産。夫婦仲は悪化し別居生活が始まります。

綿花市場に手を出し、3度目の破産

1907年、2度目の破産から復活したジェシー・リバモアは、100万ドルの資産を保有します。その後「コットン・キング」と呼ばれている大物トレーダー「パーシー・トーマス」に勧められ、綿花市場にも手を出すようになるが、1908年に綿花市場は大暴落。莫大な負債を抱えることになりました。

その後、しばらく負債を抱えたまま投機を続けますが、限界を感じ1915年に3度目の破産。破産したことで精神的に楽になったジェシー・リバモアは、再び市場で勝ち始め2年後には債権者達に負債を完済します。

離婚と再婚

別居していたネティ・ジョーダンとは1917年に離婚。その後ショーガールを務めていたドロシー・ウェントと出会い再婚します。ドロシー・ウェントとは2人の子供に恵まれたそうです。

ウォール街のグレートベアへ

世界恐慌目前の1929年10月24日(暗黒の木曜日)、ジェシー・リバモアは大量の売りポジションを保有。このまま売り続けていた場合、ニューヨーク市場が崩壊する直前の状態だったと言われています。

銀行家のJ・P・モルガンは使いを出し、これ以上の売りポジションを増やさないよう要請。翌日、ジェシー・リバモアは一気に買い戻しを行い、市場の流れが変化しました。

ニューヨーク市場を守ったジェシー・リバモアは、1億ドル以上の利益を上げ「ウォール街のグレートベア」と呼ばれるようになりました。

他投資家から恨まれる

この世界恐慌では、暴落によって破産・自殺する投資家が多くいる中、ジェシー・リバモア1人が大勝ちしたことから「大暴落を引き起こした張本人」とも言われ、非難と脅迫が相次いだそうです。

当然、世界的暴落の原因はジェシー・リバモア1人ではありません。おそらく損失した多くの投資家は、誰かに責任を負わせたかったのでしょう。

2度目の離婚と再婚、そして4度目の破産

1932年9月16日、不倫が原因で別居していたドロシー・ウェントと離婚。その後、ハリエット・メッツ・ノーブルと出会い翌年に再婚します。ハリエットはこれで4回目の結婚で、過去に夫婦関係を持っていた相手は全て自殺しています。

世界恐慌での成功後、ジェシー・リバモアは地位を保つことが出来ません。1934年3月5日に再起を目指し取引を続けますが、4度目の破産を申請します。

著書の出版と自殺

1940年3月、息子の勧めで著書「How to Trade in Stocks」を執筆。しかし、当時は第二次世界大戦中という事もあり、反響は乏しく評価は得られません。

1940年11月28日、晩年うつ病を患っていたジェシー・リバモアは、精神的にも疲弊し遺書を残してニューヨークのホテルで自殺。波乱の人生に幕を下ろします。

ジェシー・リバモアの手法

ジェシー・リバモアの投機手法は「トレンドに従う」ということは一貫して行っています。

投資を始めた初期の頃はバケット・ショップにてスキャルピングの手法で勝ち続けます。しかし、ニューヨーク取引所での株式投資は約定タイミングがブローカーによってタイムラグが発生することから失敗。その後は長期的なトレンドフォロー型のトレーディングスタイルへ変更します。

また、売り買いを積み増すピラミッティングという手法を得意と言われているが、本人はあくまで「時間差やトレンドを確認した上での分散投資」と否定しています。

ジェシー・リバモアが残した名言

ジェシー・リバモアが残した名言は以下の通りです。

  • 株式市場にはそもそも「100%確実」なものなど一切存在しない。
  • ウオール街に、あるいは株式投資・投機に新しいものは何もない。ここで過去に起こったことは、未来でもいく度となく繰り返されるだろう。この繰り返しも、人間の本性が変わらないからだ。
  • 投機家にとって最大の敵は無知、欲、そして恐怖と希望の感情である。
  • 自分の失敗すべてから教訓を学ぶには、長い時間がかかる。
  • 相場に勝つ必要はない、勝つべき相手は自分自身だ。

まとめ

今回は、「ウォール街のグレートベア」とも呼ばれたジェシー・リバモアの資産や経歴について解説しました。有名な投資家の中でも多くの失敗を経験している人物ではないでしょうか。破産する度に復活し、最終的に自殺という形で人生の幕を下ろしたジェシー・リバモア。今後も彼の名言や実績は語り継がれていくでしょう。

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