アメリカを代表する名門財閥で、石油王とも称されたジョン・ロックフェラーが石油業を中心に莫大な資産を形成したロックフェラー家。シカゴ大学やロックフェラー大学の創設者のため名前だけでも知っている人も多いのではないでしょうか。今回この記事では、ロックフェラー家の資産や歴史について解説していきます。
ロックフェラー家の資産について調査
2020年にアメリカ雑誌フォーブスがまとめた「米富豪一族ランキング」によると、ロックフェラー家の総資産は84億ドルと言われています。84億ドルは日本円にすると1.2兆円以上です。
豪邸
ロックフェラー家が所有している豪邸について紹介します。
カイカット
ロックフェラー家の豪邸で一番有名なのはニューヨーク州スリーピー・ホローにあるロックフェラー家の本邸カイカットです。カイカットとはオランダ語で「小高いところ、見晴らしのよいところ」という意味を持っており周りを見晴らせる小高い丘に建てられています。
現在はツアーが行われており一般人でも見学可能です。庭園は噴水や彫刻などが置かれ、ゴルフ場もあります。重厚で城のような見た目の豪邸は、40以上の部屋があり中には様々なアンティーク品が飾られています。ガレージには、多くのクラシックカーが展示されているそうです。
3邸宅を売却済み
2017年にロックフェラー家は所有する3軒の邸宅を売却したと報道されました。売却した豪邸はどれも450平方メートル以上の広さで庭園や果樹園、ワインセラーなどが備わっています。売却額は合わせて約83億円。各豪邸の売却値段は以下の通りです。
- ニューヨーク州スリーピーホロウ:2200万ドル(約24億8000万円)
- メーン州シーハーバー:1900万ドル(約21億4000万円)
- ニューヨーク州マンハッタン:3250万ドル(約36億6800万円)
美術品
ロックフェラー家は多くの美術品を収集することで有名です。収集した美術品は美術館に寄贈もしています。
2018年には、デイヴィッド・ロックフェラーと妻のペギーが集めた美術品1500点がオークションにかけられ総額約8億3260万ドル(約910億円)で落札されています。オークションでは、ピカソの初期作「花かごを持つ少女」が1億1500万ドル(約125億円)。モネの「睡蓮」が8400万ドル(約92億円)で落札され話題になりました。
ロックフェラー家の歴史を紹介
ロックフェラー家の歴史について紹介していきます。
石油産業で成功
クリーブランドの貧しい家庭に生まれていたジョン・ロックフェラーは1863年に石油精製事業に進出。1870年には弟のウィリアム・ロックフェラーと共に石油会社スタンダード石油会社を共同設立します。スタンダード石油会社は、次々と競合他社を買収し石油市場を独占。アメリカ初のトラストを結成し、石油産業で成功を収めていきます。
反トラスト法が適用され有罪
石油産業でトラストを結成し成功したロックフェラー財閥のやり方は、本来の自由競争を阻害しており消費者が価格による不利益となっているという声も挙がっていました。その声を聞いたアメリカ議会は反トラスト法を制定。1911年にはローズヴェルト大統領によってスタンダード石油は告発されます。
裁判は4年続き、結果は有罪。スタンダード石油会社は33社に分断。その後は法律を侵さないよう穴を突きながら独占を維持して存続していきます。
三菱地所がロックフェラーセンターを買収
1989年10月、日本の不動産会社三菱地所がニューヨークにあるビル「ロックフェラーセンター」を買収。ロックフェラーセンターは、第二次世界大戦がはじまった頃の1939年にジョン・D・ロックフェラーによって建設されたビルで、アメリカの人々に思い入れが強いビルでした。そんなビルが日本の企業に買収されたことで反日が高まる事態に。しかし、日本のバブル経済が崩壊したことで1995年にビルの運営会社が倒産し14棟あるビルの2棟を除いて手放すことになりました。
ロックフェラー家の現在
現在、ロックフェラー家の当主を務めているのはデイビッド・ロックフェラー・ジュニアです。ロックフェラー家の子孫は石油産業の他に銀行家や議員など多岐に渡って展開しています。
ディビッド・ロックフェラーは慈善家として環境保護にも力を入れています。2022年には日本に来日し、ブルーシーフードの普及に務めています。
ブルーシーフードとは、豊富に取れる持続可能な魚の消費を推奨し、過剰に消費されている魚の資源量回復を目指す取り組みです。
2025年3月、京都府と連携協定を結びブルーシーフードの普及活動を続けています。
ロックフェラー家の謎、失踪事件
ロックフェラー家の謎として語り継がれているマイケル・ロックフェラー失踪事件について紹介します。
マイケル・ロックフェラーが失踪
ネルソン・ロックフェラーの息子で民族学者のマイケル・ロックフェラーは、1961年11月20日に博物館に展示するコレクションを収集するため、オランダ人人類学者のルネと共にニューギニア南部の未開の地に買い付けに来ていました。しかし、目的地へボートで移動中にエンジンが故障。案内人の現地人が泳いで助けを求めに行くも、しびれを切らしたマイケルはルネを残して泳いで陸地へ向かういます。その後、マイケルは消息不明となりました。
首狩り族に喰われた
ロックフェラー家はこの消息事件を海難事故としていましたが、マイケルは首狩り族のアスマットに喰われたと言われています。
マイケルが買いあさって集めていたのは、首狩り族と呼ばれるアスマットの生活用品や儀式に使うもの。ボートから泳いで岸についたマイケルは50人の首狩り族に捕まり、喰われたと言われています。
現地の人間から真相は語られず
10年後、この事件を記していたカール・ホフマンはマイケルが消息不明となった真相を知るために現地へ向かいます。現地のアスマットの人々はマイケルのことを覚えていたものの、消息不明事件については誰も答えず口裏を合わせるように嘘をついていたそうです。
結局マイケル消息不明事件の真相についてはわからず、「消息不明となった理由」や「マイケルは本当に喰われたのか」については謎を残す形となりました。
まとめ
今回は、ロックフェラー家の資産や歴史について解説しました。石油王となったジョン・ロックフェラーから始まった一族の総資産は1.2兆円以上です。現在、ロックフェラー家は環境を保護するためにブルーシーフードの普及に務めています。2025年には日本の京都府とも協定を結んでおり、今後の展開に注目が集まっています。